「パラレルワールド」が要る。

シェアリングエコノミーが普及しつつある。と言ってもまだ初期段階でこれからさらに流れは加速していくだろう。

ところでぼくはそんな社会的な、経済的な話題を取り上げたいわけではなく、もっとフィクションの、妄想の話をしようと思っている次第だ。

というのも、人は、生物は、すべての森羅万象は、「次元をシェアしている」というところから話は始まる。シェアリングエコノミー台頭よりもずっと昔、というより始めから、次元をシェアし続けているのだ。

ここで本記事の題名に繋がるが、もうそのような「次元のシェアリングエコノミー」はやめて、「パラレルワールド」があればどれほどいいか。

この世のあらゆる問題は森羅万象が次元をシェアしていることで起こる。

次元というとわかりにくいが、「空間」と言ったほうが伝わるかもしれない。紛争地帯であるシリアと、平和ボケしている日本では、違う世界のようで、遠いだけの同じ空間での出来事なのだ。

考えてみれば、今誰かに降りかかっている問題は、パラレルワールドがあれば起きないものだ。

心理学者のアドラーは「すべての問題は人間関係によるものである」と言う。たしかにそうだ。些細な問題から紛争などの壮大な問題まで、人間の「価値観の違い」によるものだ。「価値観はみんな違って当たり前」なので多様な価値観があっていいが、結局、違う価値観が「同じ次元をシェアしざるを得ない」ことの解決方法は未だ闇の中だ。

ぼくはふと、絶望視してしまうのだが、「多様な価値観を認め、問題の起こり続ける世界」よりも、「そもそも違う価値観は次元を共有すべきではないのでは?」と思ってしまう。

これはフィクションの話だ。現実では次元はシェアしざるを得ないので多様な価値観を認めるべきだ。(と言い訳しておかないと収集がつかない。)

まったく価値観の合わない上司や隣人とは、別の次元(=パラレルワールド)に行けばいい。価値観が混在する次元を共有している限り、その上司と遠く離れたってまた次の職場に同じような奴がいる。隣人と離れたって街を歩けば似たような奴がいて最悪の場合問題が起きる。

どう考えたって相容れないタイプの人間とは、空間ごと、世界ごと、違う次元に住めたらいい。

価値観の混在は、問題だらけだ。一方が抑圧するのも、両方が譲歩しあうのも、結局問題にしか繋がらない。唯一の解決策は、まったく別の世界に行くことだ。別の土地や国では足りない。「違う次元」へだ。

 

だが最後に、この話には落とし穴があって、パラレルワールドがあったとして、それはきっと「国」と同じ末路を辿るだろう。指が疲れたのでこの話は詳しくはしないということで。