「自分のことは自分でやるべき」みたいなのは無視して、たくさん頼るべき。

「自分のことは自分でやるべき」みたいな考えが、なぜここまで人間の、(主に日本人の?なのかな?)、脳にこびりついているのか、まったくわからない。いつから?なにがあって?

 

いつからか、なぜなのかは知らないが、少なくとも別に自分のことは自分でやるべきでもなんでもない。それを言い出したらみんな畑を耕して野菜を栽培して、牛を飼い豚を飼い、海の食べ物を採るときも山の食べ物を採るときも、車は使わずに自分の足で歩いていかなければならない。

例が極端と思うかもしれないが、極端でもなんでもないと思うのはぼくだけだろうか?「分業」によって文化が発展してきたことは言うまでもない。畑を耕す人は野菜を作ることに集中し、鶏を飼う人、牛を飼う人、と分業することで人々の生活は幾分と便利になった。

できないことは他人に任せ、自分は自分のできることをやればいいのだ。

 

そもそも、人間という生き物は「他人に頼ることを前提」に生まれてきている。

 

産まれたばかりの赤子はなぜあれほどにも自分ではなにもできない存在なのか考えたことはあるだろうか?馬の類のように、産まれてすぐに自分の脚で立ち上がることができる種もいるというのに。

それは、人間の脳が巨大化したことと、人間が直立歩行をし始めたことが関係している。

これらは相反する。巨大な脳を持つ赤子を産むために女性の下半身は大きくなければいけない。だが直立歩行をするためには下半身が大きいと不利である。

そのために人間がとった選択が、「極端な早産」である。赤子の頭が成長しきる前に産み落とすのである。

すると、「自分では何もできない赤子」が産まれるので、人間の母親の負担は増える。早産により脳の巨大化と直立歩行を両立できたが、子育てコストが高くなってしまった。

だから、人間は「コミュニティ」を作る生物となった。

コミュニティを作り、早産した赤子の子育てを助けてもらうためだ。

 

人間は、そもそもが「助けてもらうことが前提」なのだ。助けてもらうことは、人間の「生存戦略」だ。

 

だから「自分の子くらい自分で育てろ!」などという批判は、的はずれもいいところだ。

「ベビーシッターに預けっぱなしなんてかわいそう」

「両親に頼ってないで自分で育てろ!」

「子育ての資金をクラウドファンディングで募るな!自分で稼げ」

など、すべてなーんもわかってない人間の言うことである。

 

子育てに限らずだが、人に頼ることはなにも悪くないし怠けでもない。これは人間という生物にとって明らかだ。むしろ人間は助けられてこそ生きるのだ。

 

「自分のことは自分でやる」ように教育する学校や親は多いが、むしろ人間という生物にとっては「助けてもらえるような人間になる」ように教育するほうが、よっぽど正解なのだ。