ぼくが遺書を書く理由3

人が自殺する理由とか、自殺の直前にどんな心情だったかなど、当然知る由もない。本人に聞こうにも、死んじゃってるからだ。

 

もしかしたら、ずっと、「死のう、死のう」って考えていて、死ぬときも暗闇でロウソクの火がそっと消えるように、死んでいったのかもしれないし、

 

もしかしたら、「死のう」なんて考えてもなかったのに、ふと気づいたら踏切に足を踏み入れていたのかもしれない。

 

多くの人は前者の方を思い浮かべがちな気がするが、ぼくはむしろ、後者の方が多いんじゃないか?と思う。これはぼくの主観でしかなくて、こればかりは誰にもわからない。

 

ぼくは、この「遺書」で何度も述べているように、自殺する気はない。でも、後者の方 (=気づいたら自殺してしまっていた) という話なら、あり得ない話ではない。そうだろう。誰しも「まさか自殺なんて」と思っていても、突発的にどんな感情に襲われるかわからない。

 

もちろん、突発的に自殺を思い立ち、台所に向かい、包丁を手に取り、自らの腹を切る、なんていうことはない。そこまでの長いプロセスは無意識下で起こらない。

ただ、駅のホームや踏切、または屋上なんかどうだろう?一歩踏み出すだけで死ねる。簡単に。一歩という簡単すぎる一瞬の行為によって終わりの見えない絶望に終止符を打てるのだ。ぼくもいまこうして理性がはたらく内はそれでも自殺したいなど思わないが、その状況になれば果たしてどうだろうか。

 

そして、万が一でもそうなってしまった場合に、たとえば自分の最も大切な人物に、

「いや、違うんだ。自殺するつもりなんてこれっぽっちもなかった。なのに、気づいたら踏切に飛び込んでいて... 君と過ごした日々が辛かったんじゃない!むしろ最高に幸せだった... そこはわかってほしい!自分でもなぜこうなったかわからなくて...」

と、言いたいところだが、それは絶対にできない。死んだから。

大切な人に最後に自分のほんとうの気持ちを伝えることができないのだ。

そう、突発的に自殺をしたので「最後」など思いもしなかったのだから...。

 

「最後」を意識できれば、自分のほんとうの気持ちを、自分の大切な人に伝えられたかもしれないのに...

 

そう、だから、「遺書」を書いている。

だから、「自分のほんとうの気持ち」を書くことを意識して、こうしていまから遺書を書いているのだ。

 

これは、ぼくみたいな悲観的人間じゃなくとも、多少考えておいたほうがいいんじゃないか?とすら思う。「遺書を書く」ことを。

 

だって、「突発的な自殺」以外にも突発的な死はあり得るじゃん。みんな、当然のように。

 

そうなったとき、せめて、自分の大切な人にくらい、自分のほんとうの気持ちを知ってほしいな...。これは理屈じゃないな。ぼくが理屈じゃないこと言うのも珍しい。

 

そうだな、そしてぼくの話にしよう。

ぼくの最も大切な人は、言うまでもなく「妻」だ。ぼくにとって家族とは、「ぼくと妻と愛猫」だ。生まれ育った家庭よりもずっと。

(あ、もちろんこの先は増えているかもしれないな、"キッズ"が。)

 

そして、万が一でもぼくが、何を間違ってか「死」を選んでしまった場合、(もしくは偶然「死」を迎えた場合)、妻にはちゃんと伝えておきたい。

 

「君と出会えたのは最高だ。君と過ごせたのは最高だ。死の理由は決して君じゃない」

 

せめてこれだけは知っておいてもらわないと、納得いかない。

 

もし、旦那が自殺でもすれば、妻は少なくとも自分を責めてしまうんじゃないかな?

 

「わたしと過ごすのはほんとうは辛かった?」

 

「わたしが苦しみを取り除いてあげられなかった」

 

と。

 

そしてぼくの場合は決してそうじゃない。妻のおかげで多くの苦しみは希望に変わったし、多くの満たされない日々は満たされた。死の原因は全くの別だ。

 

癌患者を救えないのは、決してその妻(夫)のせいではないのだ。

 

もちろんこれは、万が一ぼくが死を迎えるときのために残すメッセージであって、ぼくが死のうとしてるのではないよ。ぼくはまだ君と生きるよ。

 

そう、ぼくは死にたいんだか死にたくないんだかよくわかんないな。

 

でも、そりゃみんなそうなんじゃないの?とも思う。

 

「死にたい」人も、そりゃ生きれるなら生きたいさ。生きれるって言っても、不安や絶望なく、自由に生きれるなら。

 

もちろん「生きたい」のに、「絶望や不安、恐怖から逃げたい」のほうが大きいから、もしくは"大きい"というより、それしか見えなくなってしまったから、結果的に「死」を選んでしまうのさ。みんな積極的に死にたいわけがないさ。

 

ぼくが死にたいのか死にたくないのかよくわからないように、誰しもそんな感じなんじゃ?そして気づいたら死を選んじゃってる。のでは。

 

だからぼくにも、誰にでも、突如「死」を選んでしまうことはあり得る。だから遺書を書く。